ライブラリー

第 11 回

温故知新 ー助成研究者は今ー

「財団助成研究・・・その後」

第8回 平成11年度 国際共同研究助成

広島大学大学院 医歯薬学総合研究科循環器内科学 教授

木原 康樹

木原康樹

平成11年、京都大学病院に勤務していた当時、第8回ファイザ-ヘルスリサーチ振興財団国際共同研究助成をいただくことができた。公衆衛生や疫学研究などの門外漢である自分にとっては、思いがけなく幸運な受賞であったように記憶する。ただあの頃のわたしには、とても気になっていた事柄があった。「セカンドオピニオン」である。

循環器内科を標榜して外来を担当する自分のところに、「先生のセカンドオピニオンを聞かせてほしい」という患者やその家族の受診が増加していた。「セカンドオピニオンですか、、、そうするとファーストオピニオンであるあなたの主治医は、どんな診断でこれからどう治療すると仰っているのでしょう?」と切り返すと、「あの先生は説明してくれない」とか、「突然手術しましょうと言われて当惑している」とか、「少しも良くならず長い入院になってしまった」とか。要するに、現主治医への不信感や対話の欠如がセカンドオピニオンというよく分からない(がゆえに便利な)外来語に置き換えられているだけで、「現主治医との関係を解消し、今後はこちらの病院でお世話になれないか」が大半の患者の下心であった。しばらく前に米国へ留学していた自分は、セカンドオピニオンの担当者が、血液学や腫瘍学の専門医であったり臨床病理医であったりするのを見ていた。つまり当時米国では治療方針を決定する重要な根拠となる標本なり臨床データなりを一人で判断するリスクを回避する制度を有し、それを斯く称すると理解していた。しかし、本邦に同じ述語が流布する過程で全く異なる意味に化けているように思えた。どうしてそのような齟齬が生じたのか、臨床判断の客観性を担保する制度を本邦に定着させられるのか、更には発祥の地である米国で同制度が如何なる発展を遂げているのか。そのような疑問が「日米セカンドオピニオンの理解に関する国際比較研究」として本財団の国際共同研究助成に取り上げられた。

十分とは言えない粗雑なフィールド研究ではあったが、日米の友人に支えられてそれなりに理解を深めることができた。とりわけ本邦では、セカンドオピニオンとは患者や市民が行使できる「悪医に立ち向かう権利」あるいは「医療駆け込み寺」の意味合いが強いものの「制度としての基盤を持たない」ことが理解された。一方の米国においては、意外にもセカンドオピニオンに対する期待は薄らぎ、患者図書館の整備などを介して情報公開を進め、患者自身に病状と治療法の理解を促す方向に変化しつつある現状が理解された。

その後も循環器内科医を続けている自分であるが、患者に理解してもらえる医療を遂行するためには己がどうあるべきかを常に考えている。と同時に、その技術を若い後輩たちに伝えてゆく努力をしている。生意気な言い方かもしれないが、「病気を診てはだめ、先ず患者さんの話に耳を傾け患者さん自身をよく理解しなさい」と回診の度に研修医を叱咤している。譬えセカンドオピニオン制度が完璧に整備されたとしても、医療現場はそれだけで解決されない事柄で溢れているし、そんなことなど考えなくても良い医療環境を淡々と維持遂行することの方が、患者さんにも我々医療者にもはるかに有り難いことにちがいないのであるから。

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