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リレー随想 - 第41回 -

ヘルスリサーチを想う

ひとの研究計画を評価すること

医療法人社団 パリアン理事長

川越 厚

原著論文を投稿し、レフェリーから内容に注文を付けられ差し返されたことが二回ある。いずれも自信作だっただけに、大変驚いた。一つ目の論文(論文1)は『在宅死した癌患者の剖検所見 日癌治 28(3):619-625, 1993.』。もう一つ(論文2)は『Kawagoe, H. & Kawagoe, K.Death Education in Home Hospice Care in Japan. J. Palliat. Care, 16(3): 37-45, 2000』である。

論文1は最初、ある研究会誌に投稿した。そこで差し戻しを食らったのであるが、その理由は「剖検率が高いことは、患者家族と医師との信頼関係が強いことによる」と私が考察で述べたことにある。レフェリーの一人が「そんなことはあり得ない」との意見を出し、不採用になったのである。「研究会誌のレベルアップのためになれば」と思ってあえて投稿先を選んだのであるが、不採用の扱いには本当に驚いた。『この先生は臨床医なのか!』と一人憤慨したのであるが、後日彼が脳外科医であることを知り、「なるほど」と納得した。再投稿はしないで論文の体裁を整え、癌治に投稿した。幸いノー文句で採用された。

論文2は3人のレフェリーのうちの一人(カナダ人の医師)がResultにクレームをつけ、差し戻しとなったのである。『在宅死した14名の患者は“死を受容していた”』という私の見方に対して、「そんなことがどうして言えるのか。第一、死に逝くものが“死を受容する”ことなどありえない。その根拠を示さないと掲載できない」ということであった。字数の関係で詳細は省略するが、この指摘は死生観が国や文化によって違うことを知るきっかけとなり、大変貴重な経験となった。注文通り“死の受容(Acceptance of death)”を定義するなどの修正を加え、個人的な感謝を伝えて再投稿した。

この度栄えあるファイザーヘルスリサーチ振興財団の選考委員に選んでいただき評価する立場になったのであるが、自分がその職にふさわしいのかどうか、常に自身を振り返るようにしたい。

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