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リレー随想 - 第40回 -

ヘルスリサーチを想う

ファイザーヘルスリサーチ振興財団と国際医療福祉大学と日本医学会総会

国際医療福祉大学 副大学院長

山崎 力

2019年度より選考委員長を務めています。東京大学時代から今日まで30数年間ご指導賜っている永井良三自治医科大学学長から大役を引き継がせていただきました。国際医療福祉大学初代大学院長の開原成允先生が初代選考委員長、国際医療福祉大学初代学長の大谷藤郎先生が財団の設立発起人のおひとりということを知り、また、永井先生は長く国際医療福祉大学評議員をお務めですので、何重ものご縁を感じています。

2011年4月開催予定の第28回日本医学会総会の最終準備を、矢﨑義雄会頭(前国際医療福祉大学総長、現東京医科大学理事長)、副会頭のおひとりに開原先生、永井準備委員長、山崎幹事長で進めていた2010年12月、大谷先生がお亡くなりになりました。大谷先生は長年にわたってハンセン病患者の差別撤廃、社会復帰活動にご尽力されていました。告別式では全国ハンセン病療養所入所者協議会代表の方が弔辞を述べられハンセン病患者が辿ってきた歴史を展示するコーナーが設けられていました。

葬儀場から斎場に向かう霊柩車に付き従う車に、開原先生と家内(現国際医療福祉大学常務理事)の3人で同乗しました。快晴の冬空に遠い視線を投げた開原先生が、「医学会総会でこそあのような医学の負の歴史も知ってもらうべきだね」と呟かれたのです。

年明け早々に幹事長として東京都清瀬市の国立ハンセン病資料館を訪問、日本ハンセン病学会理事の方々にお会いし、資料館に保管されている貴重な資料の一部を医学会総会会場の一角に移設展示するご許可をいただきました。

そのことを開原先生に報告するいとまもなく、ひと月前と同じ澄み渡った空の下同じ黒塗りの車に再び家内と同乗することになりました。たったひとつの違いは、開原先生はわたしの横ではなく前を進む車の中でご家族に見守られながら静かに眠っておられたことです。

そのふた月後大震災が日本を襲い、医学会総会は電子媒体・インターネット開催への変更を余儀なくされ、主だった展示は中止となりました。開原先生の「遺志」を叶えることができないまま今日に至っています。

医療、保健、そして福祉とそのフィールドを広げて大きく展開するヘルスリサーチですが、過去にはハンセン病対策のような闇の一面を包括していたことも銘肝すべきかもしないと感じた次第です。

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