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リレー随想 - 第 29 回 -

ヘルスリサーチを想う

統計学の難しさ

一般財団法人 医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構 所長

西村 周三

医療研究の分野でも、社会科学の分野でもいまや、「高度な」統計学は必須の学問である。意外に思われるかも知れないが、このどちらの分野でも、昔はそれほど「難しい」統計学は要らなかった。せいぜい単純な最小自乗法(OLS)、多変量解析などで議論をすればいい時代が長く続いた。

ところがコンピューターの計算能力の飛躍的向上によって、たとえば一昼夜かかった計算が数分でできるようになり、これにともなって統計学が高度化した。これはある意味当然のようにも思えるが、素人の理解できない統計学の発展が、変な現象を生んだ。計算が複雑なので、「統計学的に見て」必要な作業をあきらめざるを得なかったというのであれば、まだわかるが、最近の統計学研究の精緻化の大部分が、逆に計算機技術の進歩の後を追って、どういう考え方でそういう精緻化が必要なのかがわからない手法の改変のみというものが現れている。

他方で、現在の主流の統計学の基礎となっている「推測統計学」の哲学的側面が、次第になおざりになっているように思える。ただしここでいう「哲学的側面」というのは、決して難しいことを言っているのではなく、「ものの考え方」という意味である。フィッシャーの確立した推測統計学は、その後RCT(ランダマイズ化比較試験)の必要性を生み出し、きわめて多くの医学研究、薬剤評価研究のあり方の基礎を作った。

しかし計算技術としての統計学の発展と哲学的基礎の理解とがバランスをとって発展したなら、現在見られる、いくつかの奇妙な現象が避けられたという思いを強くしている。

特に、しばしば単発的に流行する「ベイジアン」統計学と推測統計学との違いを、わかりやすく説明できる「哲学的」統計学者が少ない。臨床の実践と研究との間に横たわる矛盾の避けがたさも統計学者に説明してほしい。そういう人がいないために、医学部の中の統計学の専門家が治験の適切なアドバイスをすることができず、いくつかの不適切な臨床研究を行う遠因となったともいえるのである。

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